愛媛観光案内!松山の歴史探放記

この道20年!松山ボランティア観光ガイドが松山のおすすめスポットと裏話を発信します!

松山観光ガイドその49~伊予絣(いよかすり)~

松山観光ボランティアガイド江藤です。

 

それでは、松山のガイドに戻りましょう。

 

伊予絣(かすり)

 

古くは日本3大かすり(久留米絣、備後絣、伊予絣)の一つに数えられた着物の織物です。

江戸時代の中期、松山生まれの鍵谷カナが考案した織物が始まりで、その後菊屋新助が考案した織物機で効率が上がるようになり、柄も複雑になり、美しい織物に変化していきました。

明治の中頃には全国の絣生産量の約25%を占め全国一になりました。

 

伊予絣の特徴は木綿の生地に紺と白の文様が幾何学的文様や絵文様で、間隔が広く線が太いので華やかでお洒落な着物になると言われています。

藍染の技術も加わって着物としての利用だけではなく、小物やインテリア雑貨としても人気があり、現代ではカバンや帽子、マフラーなど高級品の扱いになっています。

 

松山市の伊予絣会館では伊予絣の歴史的変遷の資料を展示しており、織り機や藍染の実演なども見学できます。

 

f:id:ehimehistory:20170617125540j:plain

 道後温泉の商店街でも売っています。

 

f:id:ehimehistory:20170617125754j:plain

f:id:ehimehistory:20170617130043j:plain

 

 

 

チョンミョンソク先生の箴言

 

 

あなたは勤しんであなたの行くべき道だけを行きなさい。

そして無念なことがあれば祈りなさい。

 

 

f:id:ehimehistory:20170619174622j:plain

 

「チョンミョンソク先生」との出会い~その3~

松山観光ボランティアガイド江藤です。

前回記事はこちら

 

ehimehistory.hatenablog.com

 

 

5日目は先生が修了式をやるからあなたも出なさいとおっしゃいました。

芝生の下の方に大きな舞台が組まれ、芝生に大勢の人が次々に集まり、講義がはじまりました。舞台で先生が大きく掲げられた絵を次々に見せながら、

詳しい説明をしてくださいました。私は韓国語はまったく解らないので、先生が予め通訳者を3人手配して下さり、交代で通訳してもらいました。

講義が始まったのは昼の12時半で終わったのは夜の8時半でしたが、

この間先生は一度も休憩されずぶっ通しで熱く語って下さいました。


今振り返ると、私はこの時に先生の偉大さが身の染みて分かり、

この講義を聞いて自分の考えががらりと変わったように思います。

 

6日目の朝、先生にご挨拶に行くと、近くにいる人を呼んでお金を渡し、人参市場に

連れていって高麗人参を買ってあげるようにとおっしゃいました

(月明洞一帯は高麗人参の産地としてとても有名な場所です)。


市場に着くと、そのメンバーが、沢山あるお店の中で6年物の人参を扱っている店に入って値切りました。文化も言葉もよくわからない私にとっては、まるでけんか腰の交渉に見えもしたのですが(笑)、そこで値切り、また他の店に入って値切りして、こんなに沢山人参をどうやって持って帰るだろうというほど買ってくれました。その日は先生が外出なさっていたので、お礼を言うことが出来ずソウルに向かいました。

 

7日目、ソウルから松山に帰りましたが、高麗人参も無事に持ち帰ることができました。
家に戻ってから、先生の気配りとご配慮に本当に感動しました。

そして無事に帰って来られたこと、たくさんのお土産を持たせて下さったこと、

たくさんのよい思い出を下さり、何よりも、心を覆すような御言葉を下さったことなど、先生にお礼の申し上げようもない位です。

 

一方、娘を取り返すという当初の目的などまったく忘れてしまっていました。

ミイラ取りがミイラになり、私の人生が一変してしまいました。


私はチョンミョンソク先生と出会い、今日まで信仰生活をしてこられたことを誇りに

思います。

そして、これからも先生を師と仰ぎ、しっかり生きていきたいと思います。

 

 

 

月明洞にはたくさんの松の木が植えられています。

先生が直接植えられた木もたくさんあります。

f:id:ehimehistory:20170615120002j:plain

 

 

春になると、つつじがきれいに咲きます。

f:id:ehimehistory:20170615120036j:plain

 

 

チョンミョンソク先生の箴言

 

月明洞も最初は「神様がご覧になる最高の位置と環境」だと知らなかった。

最高に労苦して開発してから見たら、「最高の場所」だった。

 

月明洞は奇岩絶壁でもなく、渓谷に水が流れる所でもないので、

ただ外見だけを見たら、「天下の名所」のように見えない。

しかし神様は「最高によい所」だとおっしゃって、

月明洞を選んで「1000年間歴史を広げる神様の宮」に作られ、「地上の神様の御座」としておかれた。

ただ見たら分からないけれども、「さまざまな特性の形象を備えた、御心のある所」だ。

「チョンミョンソク先生」との出会い~その2~

松山観光ボランティアガイド江藤です。

前回記事はこち

ehimehistory.hatenablog.com

 

 

3日目、朝早く月明洞に着きました。

もう先生は多くの人を指揮して八角亭の池の工事をしておられましたが、作業を急いでおられました。

 

しばらくして先生が急に作業指揮を止めて、誰かゴルフカーを持って来いといわれ

すぐに車が届きました。そして私を助手席に、娘を後ろの席に座らせると、ご自分がハンドルを握って月明洞観光に出発しました。

(普通に考えると誰かに観光ガイドやらせてご自分が作業指揮を続けるようにするでしょう)

 

展望台、ソンファンダン、先生のお父上の墓所などを回って山から下りて更に岩の造景、祈りの洞窟などを回りました。それぞれの地点で下車して先生が詳しい経緯を具体的に説明され、その壮大さに驚き、先生の熱意に打たれました。

 

まさに、この時の先生の熱意ある説明こそが、私の松山ガイドのお手本となり、

今までそのような思いでガイドを続けて来ることができたのです。

 

4日目は大屯山(テドゥンサン)に行きました。先生の所に朝早く伺ったらテドゥンサンを案内しましょうと若い男の子二人と女の子二人を呼んで細かく指示をされていました。

車でテドゥンサンの登山口まで行き、急な山を登りましたが、私たちにそれぞれタオルを手渡しこの端を掴んで下さいと言われ、若い子二人がそれぞれ交代で引っ張ってくれました。

どうやら先生がそこまで細かく指示されていたんですね。そして私たちも先生がお祈りされていたという岩の上でお祈りしましたが清々しい気持ちになりました。

 

 

先生が案内して下さった岩の造形「野心作」(現在の姿)

 

f:id:ehimehistory:20170615114143j:plain

 

 

「野心作」(開発途中の姿)

f:id:ehimehistory:20170615114326j:plain

 

 

池の八角亭と御子愛の家(引き上げ記念館)

f:id:ehimehistory:20170615114436j:plain

 

 

チョンミョンソク先生の箴言

 

 

<月明洞自然聖殿>は「神様の構想どおりに開発」した。

だから山を一つもなくさず、必要なものを作り、岩ももっと運んできて置き、

松の木やさまざまな木をもっと植え、もともとなかった湖と滝を作り、

芝生の聖殿を作り、運動場と散策路と建物などを作った。

そうしたらもっと美しく、見た目もよく、使いやすくなった。

 

 

<月明洞自然聖殿の野心作>も、先生が責任を負って、

「なんとしても完成させよう!ほかの人たちが途中でやめても私が完成させる!」と思って、5回崩れても、また石を立てて完成した。

<自然聖殿全体>をそのような気持ちでそのように開発した。

 

 

 

「チョンミョンソク先生」との出会い~その1~

松山観光ボランティアガイド江藤です。

前回記事はこち

 

ehimehistory.hatenablog.com

 

松山、そして愛媛の見どころをご紹介してまいりました。

 

観光ガイドと共に、絵手紙とチョンミョンソク先生の箴言をコラボした作品も合わせてご覧頂いております。

 

「絵手紙」そして「箴言」との出会いの記事でも少しご紹介しましたが、

私の人生を大きく変えて下さったチョンミョンソク先生との出会いをお話したいと思います。

 

私は今年79歳になりましたが、19年前60歳の時(1998年)先生に初めてお会いしました。
その当時のお話です。

 

長い間サラリーマン生活をしていましたが、定年になりました。

当時、娘が韓国に留学していましたが、1998年の4月に2週間帰省した際に聖書の勉強を勧められ、毎日講義を聞きました。核心的に聞いて、定年退職して時間ができたので6月に韓国に遊びに来ないかと誘われました。


私の韓国に関する知識といったら、当時、日本で話題になっていたとある宗教くらいしか思い浮かばなかったので、そうと思い込んでこれは大変だということになっていたのです。私はすぐに韓国行きを決断し、「よーし、娘を取り返し、連れて帰るぞ!」と決意して7日間の韓国旅行に出かけました。

 

韓国では最初にソウル観光をし、2日目は娘がホテルで聖書について講義をしてくれ、そのまま月明洞(ウォルミョンドン)に行くことになりました。


月明洞に着いた時、最初に「ここは別天地だ」と感じました。


その日先生が済州島から帰ってこられたので、多くの人と一緒に出迎えました。車からお宅まで多くの人が並んでいましたが、先生は私たちのところにまっすぐやって来られて「よくいらっしゃいました」と言って握手してくださいました。

その時の先生の第一印象は「何だ、普通のおじさんじゃないか」と、その時は大変失礼ですがそう思いました。

 

さらに先生は「一緒に食事しましょう」とおっしゃって先生のお宅に招いてくださいました。先生と同じお膳で雑穀ごはんをいただきました。先生はものの5分位で食べてしまわれ、私たちが食べ終わるのをナッツのお皿を持ってこさせてポリポリ食べて待っておられました。

 

そして私に「娘さんのことはご安心ください」とおっしゃいました。どうも私の心を見抜いておられたようです。また、娘がここでどんなことをしているのかを説明してくださいました。そして宿は近くの温泉宿にしなさいと手配して下さり、送り迎えも合わせて手配して下さいました。

 

 

 月明洞自然聖殿(現在の様子)

f:id:ehimehistory:20170615105013j:plain

 

f:id:ehimehistory:20170615111052j:plain

 

 

チョンミョンソク先生の箴言

 

月明洞は、一つ、「神様が神様の宮として使おうとして場所を決めてくれた最高の位置」だ。二つ、「その位置に合うように神様の構想どおりに作った最高の作品」だ。

 

月明洞は初めに神様が場所を決めて見せてくださったとおりに作ったので、「最高」に作ることができた。

神様が構想をくださり、見せてくださったとおりに100%作ったので、「最高」に作ることができた。

 

 

 

松山観光ガイドその48~砥部焼~

松山観光ボランティアガイド江藤です。

 

 前回記事はこち

ehimehistory.hatenablog.com

 

続きましては「砥部焼白磁の焼き物」をご紹介いたします。

 

松山市のすぐ隣に砥部という町があり、ここは砥部焼の産地として有名です。

 

砥部焼は6~7世紀の頃の須恵器の窯跡が多数発見されており、このころからこの地方では焼き物づくりが盛んだったようです。

 

江戸時代からこの地で産出する砥石用の石が伊予砥と呼ばれ磁器の原料として生産されるようになりました。

しかしこの白磁砥部焼が簡単にできたわけではなく、何代にもわたって技術を積み上げ、230年前現在の白磁の技術に到達しました。

 

それ以来技術の改良を重ね、近年は若い作家や女性作家により、伝統的な砥部焼の技術に個性が加わった作品も多く登場し、現代的焼き物になってきました。

最近は多くの窯元の作品を扱う大型店の出現で、自分好みの作品が見つけられるようになりました。

 

砥部焼の特徴はぼってりとした白磁に呉須と呼ばれる顔料で描かれたシンプルな模様が映える、丈夫で実用的な飽きのこない美しさが魅力です。

 

f:id:ehimehistory:20170614131409j:plain

 

f:id:ehimehistory:20170614133148j:plain

 

f:id:ehimehistory:20170614133248j:plain

 

f:id:ehimehistory:20170614133404j:plain

f:id:ehimehistory:20170614133649j:plain

 

また、砥部焼体験コーナーを併設したセンターもあり、お客様に好評です。

素焼きの皿やコップに好みの絵や文字を自分で描き焼き付けてもらうもので、焼き付けに時間がかるため作成してから1か月後位にご自宅に自分の作品を宅配便で送ってくれます。

 

 

 

チョンミョンソク先生の箴言

 

 

罪を認め、告白しなさい。これが悔い改めだ。

一人で義を積んで決心して悔い改めてはいけない。

御子の肉に隠さずに

自分の罪を認め告白することが悔い改めだ。

 

 

f:id:ehimehistory:20170614134002j:plain

 

 

松山観光ガイドその47~愛媛のみかん~

松山観光ボランティアガイド江藤です。

 

さて松山について、だいぶご紹介してまいりました。

是非、愛媛についてもお話したいことがたくさんございますので、

松山のガイドと合わせてお聞きいただければ幸いです。

 

やはり愛媛といったら・・・

 

日本一のみかん王国「愛媛」

 

平成16年、台風の影響で温州みかんの生産量が35年ぶりに日本一を明け渡しましたが、それ以外の柑橘類の生産量を合わせると断然トップを維持しています。

全国シェアでは、温州みかんが16%、その他の柑橘類は43%の割合です。

庶民のみかん「温州みかん」から糖度が高くおいしい高級柑橘に生産が移行してきています。

 

温州みかんから伊予柑に移行し、さらに新品種の開発が積極的に進められ「はれひめ」「あいひめ」「まりひめ」など愛媛らしいネーミングのニューフェースが登場しました。

 

f:id:ehimehistory:20170614124742j:plain

f:id:ehimehistory:20170614124941j:plain

f:id:ehimehistory:20170614125142j:plain

 

近年さらに人気の高い柑橘が現れ人気を博しています。

「紅まどんな」「はるみ」「甘平」「はるか」「せとか」などお勧めです。

別紙愛媛のみかん農園や柑橘カレンダーをご参考に。

 

f:id:ehimehistory:20170614125605j:plain

 

f:id:ehimehistory:20170614125827j:plain

道後温泉には、こんなお店もあります。

是非、いろんな柑橘を味わってみてください。

 

 

チョンミョンソク先生の箴言

 

<人生100年>は「肉の農作、霊の農作を合わせてたった一度農作ができる期間」だ。

この期間が過ぎたら、神様は二度と時間をお与えにならない。

 

 

f:id:ehimehistory:20170614125959j:plain

松山観光ガイド番外編~郷土菓子「温泉煎餅」~

松山観光ボランティアガイド江藤です。

前回の記事はこちら。 

ehimehistory.hatenablog.com

 

それでは、郷土菓子で一休みしましょう。

 

正岡子規も好物だったという、明治15年創業玉泉堂本舗(ぎょくせんどうほんぽ)の名物煎餅です。

道後温泉のシンボル玉の石をかたどった煎餅で、軽い歯ざわりとさっぱりした味の煎餅です。

材料は小麦粉、砂糖、卵のみを使用した初代からの製法で、今も一枚一枚手焼きで作っている人気の高い煎餅です。

予約しておいてお店に来ないと買えないという噂です。

 

f:id:ehimehistory:20170522223652j:plain

老舗ならではの佇まいで、商店街にあっても特別な存在感ですね。

 

f:id:ehimehistory:20170522223745j:plain

缶入り50枚 2100円です。

手作りにこだわり、一日の生産量は50缶に限定しているため、予約しなければ買えないそうです。