松山観光ガイドその11~道後温泉本館・西側正面~
松山観光ボランティアガイド江藤です。
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初めての方はこちらをどうぞ
さあ、いよいよメインの「道後温泉本館」に到着しました。
道後温泉本館のたたずまいは素晴らしいでしょう。
今から120数年まえに建て替えられた建物で国の重要文化財に指定されています。
最初に左側の3階建ての建物を作り次第に建て増してこのような形になりました。
屋根瓦の頂部は道後温泉のお湯が沸き出ている様を表している湯玉です。
入口の上に道後温泉と書いた看板がありますがこの看板は
戦後昭和35~45年にかけて小説「坊ちゃん」が5度にわたって映画化されました。
毎回配役が変わってこの道後温泉も舞台として使われました。
その第1回目の撮影のとき映画会社が作ってはめたのがあの看板で、
それからずーとそのまま使っています。
でも何かなじんでいますね。
それ以前は入口の両側にたっている道後温泉と書いた行灯だけでした。
道後温泉本館は年間80万人以上のお客様が利用していますが、
ミシュラングリーンガイドにも三ツ星の評価を得ており、最近外国からのお客様も増加してきています。
入り口の横に値段表があって利用料が4段階になっています。
どのコースにはいっても温泉の泉質は同じですが休憩室が違います。
又新殿の見学コースもありますのでおすすめです。
このようにガイドしております^^
チョンミョンソク先生の箴言
<考え>は「観念」を生むが<実践>は「実体」を生む。
小さくても「実体」を得なければならないし、
大きくても「実体」を得なければならない。
松山観光ガイドその10~聖徳太子の碑文~
松山観光ボランティアガイド江藤です。
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奈良飛鳥時代、聖徳太子が道後に来浴されたという碑文が「椿の湯」前にあります。
この碑は聖徳太子が道後の眺めがすばらしいこと、
温泉に差し掛けている椿の見事なことを詠んで
石碑にされたものと言われています。
本物の石碑はいくえ知れずですが、
文章は金石文の一つとして重要視されています。
来浴された記録が最も古いものです。
ちなみに「椿の湯」は道後温泉本館近くにある姉妹湯であり、
先ほど紹介しました聖徳太子のことばに起源をもち、その名がつけられたものです。
お湯は本館と同じであり、本館と同じ形の花こう岩で造られた湯釜も設置されています。
地元の方々は、こちらをよく利用されます。
チョンミョンソク先生の箴言
脳の鍛錬、体の鍛錬は自分の責任だ。
脳と体が健康であるように、自分が自分を作って、体質を変化させることだ。
車も使う通りに、慣らす通りに性能を発揮する。
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松山観光ガイドその11~道後温泉本館・西側正面~
松山観光ガイドその9~熟田津(にきたつ)の道~
松山観光ボランティアガイド江藤です。
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ハイカラ通りを進んでいくと「熟田津(にきたつ)の道」と呼ばれる道があります。
この道です。
どのような道かと言いますと、
万葉の時代斉明天皇一行が九州へ下る途中道後に立ち寄られましたが、
当時道後の近くには熟田津と呼ばれる港があり、
港から道後までの道が熟田津の道と呼ばれていました。
九州に出発するとき船団を整え、いざ出発というときに追従していた
額田王が詠った歌が有名で
「熟田津に 船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ 今はこぎいでな」
の歌で万葉集にもでています。
訳:熟田津で船出をしようと月を待っていると、満月が南の空に出てきた。
潮の流れも九州へ向いた。すべてが叶った。さあ、今こそ漕ぎ出そう。
現代では四国霊場をまわる巡礼の道として案内の石柱があります。
チョンミョンソク先生の箴言
<目的>を成すためには、全てを諦めて「それ」だけをやらなければならない。
そのように<目的>を成し遂げれば、そのときはじめて「願っていたもの」が
成されて得るし、それによってまた「次の目的」に向けて行なうようになる。
次回記事
松山観光ガイドその10~聖徳太子の碑文~
松山観光ガイドその8~ハイカラ通り・案内図~
松山観ボランティアガイド江藤です。
いよいよ道後温泉本館へと向かって行きましょう。
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この入口から入ってすぐの右手に案内図があるので、ぜひご覧ください。
この案内図は道後温泉本館へ行く道を
ピンク色で示していますが、
この道をハイカラ通りと呼んでいます。
明治27年に現在の建物に建て替えられたときには
周りに高い建物はなくこの本館が3階建の建物で目立っていました。
そこで周りの人々はビルディングが出来たと云ったものです。
そして左側の3人のユニフォームを着た人は
この3人が松山出身の世界的に名を知られている人だといわれています。
秋山好古は日露戦争で世界最強と言われていたコザック騎兵隊を撃破した人、
秋山真之は日露戦争で世界最強と言われたバルチック艦隊を撃破した人、
正岡子規はその名を知らない人がいないくらいの近代俳句の父です。
そしてこの3人が来て着ているユニフォームは
襟の高いユニフォームになっていますが、
当時この襟の高い服が流行していたんですね。
それで当時モダンな服をハイカラともてはやしたんです。
高い襟すなわちハイカラーだったわけです。
このピンクのこの通りもモダンだったのでハイカラ通りと呼ぶようになりました。
ハイカラ通りはアーケード街になっており、
お土産屋や食事処が並んでいます。
チョンミョンソク先生の箴言
大きい仕事をするためには、
「明け方の時間」を使いなさい。
力を使う知恵、時間を使う知恵、
力を蓄える知恵、時間を蓄える知恵だ。
次回記事
松山観光ガイドその9~熟田津(にきたつ)の道~
松山観光ガイドその7~子規記念博物館~
松山観光ボランティアガイド江藤です。
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道後公園の入口にあるこの大きな建物は松山市立の子規記念博物館です。
正岡子規の作品を中心に収蔵し、その世界を
再現した文学系の博物館で文学が好きな方にとっては
たまらない場所のようです。
子規と漱石が五十余日一緒に過ごした
「愚陀仏庵」の一部も館内に復元されています。
子規記念博物館の前には子規と漱石の俳句を
彫り込んだ句碑が建てられています。
二人はなんと親友であり、
俳人なのに・・・なぜ野球のユニフォーム姿??
と、不思議に思われる方も多いと思います。
正岡子規は日本に野球が導入された
最初の頃の熱心な選手でもあり、
ポジションは捕手でした。
2002年には野球殿堂入りを果たしています。
子規と野球の関係については・・・
また後ほど詳しくご説明いたします。
チョンミョンソク先生の箴言
かかとを上げるように
もう少しだけやればいいのに、やらないのか。
<できる能力>は無限だ。
<力>はあなたの中にある。
やってこそ、その力が出てくる。
次回記事
松山観光ガイドその8~ハイカラ通り・案内図~
松山観光ガイドその6~道後公園・湯釜薬師~
松山観光ボランティアガイドの江藤です。
続きましては、道後公園をご案内します。
前回記事
先程お話ししました湯釜の最も古い湯釜が
湯釜薬師としてこの公園の一角にこのように保存されています。
この湯釜の説明がこの白い立て札に
書かれていますので各自読んで見てください。
これによりますと書かれているとおり、
この湯釜は今から1200~1300年前の
奈良・飛鳥時代に作られ
1100年間ほど道後温泉の湯口に設置され、
親しまれてきたものです。
この湯釜の正面に刻まれた像は
出雲の神様を表していまして、
胸に抱いている赤ちゃんみたいな像は
出雲の神様が道後温泉を開かれたという
神代の時代を表しています。
こちらの少し高い場所から見ますと
この湯釜の頂部には冠石と呼ばれる石が
のっかっていて、下部に穴が開いています。
湯釜の中は空洞になっていて
お湯が貯められこの穴から湯釜の表面を
流れ落ちるようになっています。
そしてこの湯釜の周りが湯舟になっていました。
この湯釜の表面には作成した時のノミで
削ったあとがそのまま線のように残っていますね。
この湯釜の下半分は湯の中に浸っていましたが、
同じように刻んだ線が残っています。
だいたい全国のどこの温泉も湯の中に浸っている石は長い年月で丸くなり大きくなっていきます。
これは湯の中に溶けている成分が付着して丸く大きくなるようです。
そしてこの溶けている成分が薬効として
働いているようです。
ところがこの湯釜はお湯に浸っていた部分にも
付着物が付いていません。
刻んだときのあとがくっきり残っていますね。
これは道後温泉のお湯にはそのような成分が
溶けていないか、少ないということを表しています。
ところが道後温泉は万病に効くと昔から言われています。
では道後温泉はなぜ万病にきくのでしょう。
それはここの温泉は湯温43度のお湯が出てくるからと言われています。
43度の温泉にはいるとはじめは熱いと感じますが、
少し慣れると気持ちよくなります。
この43度のお湯が全身の血液の循環を良くして、
血液の循環がよくなることで万病に効くということのようです。
道後温泉は入浴の仕方があります。
裸になってドボンと首までつかると湯あたりすると言われています。
はじめは半身浴で胸までつかり10分位かけて
徐々に血液循環をよくしていくのがおすすめの入り方です。
その後全身浴の入り方をひとつ守ってやってみて下さい。
チョンミョンソク先生の箴言
全地全能なる神様はいつも炎のような目で
人間を見つめるとおっしゃった。
だからその対象である人間が話すか、
探すかしたら、すぐに分かって通じる。
次回記事
松山観光ガイドその7~子規記念博物館~
松山観光ガイド番外編~句碑~
松山観光ボランティアガイド江藤です。
道後温泉駅前広場の案内を終え・・・
道後公園に入る前に、ちょっと一休み。
前回記事
ここ道後温泉街のあちらこちらに見られる「句碑」をご紹介します
『俳句に親しみ、俳句を楽しみ、俳句を愛するまち松山』
俳句に詳しくない方も・・・
教科書などで聞いたことのある名前ではないでしょうか?
「句碑」とは、その名のごとく俳句が刻まれている碑であり、
愛媛県内にはなんと575もの句碑があります
松山市内には、句碑が整備された「句碑ストリート」なるものもあります
それでは、こちら道後温泉にある句碑をいくつかご紹介しましょう
読めませんね。
以下が解説になります。
春風や ふね伊豫に寄りて 道後の湯
2つ目です。
読めません。
伊予とまつす 国あたたかい いで湯わく
チョンミョンソク先生の箴言も、句碑にしたいものです
<前進する時、次元を上げる時>は
まるで密林を切り開いて進むようにすべきであって、座り込んで
手間取っていたら、人生の日が暮れて、
そこにとどまるようになる。
かき分けて進むように、そのようにすれば、
そこを抜け出して、違う世界が出てくる
このようなことが、「人生を生きる技術だ。」
次回記事
松山観光ガイドその6~道後公園・湯釜薬師~