松山観光ガイドその42~坂の上の雲ミュージアム~
松山観光ボランティアガイド江藤です。
さて、皆さんは司馬遼太郎の長編歴史小説「坂の上の雲」をご存じでしょうか。
「産経新聞(夕刊)」に1968(昭和43)年4月22日 〜1972(昭和47)年8月4日にかけて、4年半にわたり連載され、計1296回だそうです。
この小説の主人公、秋山好古、秋山真之、正岡子規、この3人ともに松山出身なのです。
また、2009年から2012年までNHKでテレビドラマで放送されました。
その影響もあり、このミュージアムにも多くの方々が訪れるようになりました。
建物も特徴的であり、建築家・安藤忠雄氏による設計です。
回廊式になっており、ゆっくと展示物を見ながら上がっていきます。
この階段は「空中階段」と言われ、3階と4階を接続する階段ですが、最も負荷のかかる中間部分の支柱を抜いた構造となっています。とても珍しい構造だそうですよ。
入ってすぐのフロアには、書籍の資料が自由に読めるスペースがあります。こちらは無料で利用ができます。
またカフェにもなっており、松山名菓も食べられます。
窓の外には「萬翠荘(ばんすいそう)」が見えます。
「萬翠荘」は、大正11年(1922年)旧松山藩主の子孫にあたる久松定謨(ひさまつさだこと)伯爵が、別邸として建設したものです。
昭和60年(1985年)に愛媛県指定有形文化財、平成23年11月に国の重要文化財に指定されています。
有料ですが、邸宅の中も見学できます。
松山城からすぐの場所にありますので、ぜひこちらにも足を運んでくださったら良いと思います。
チョンミョンソク先生の箴言
全能者神様と、御子と、神様と御子が遣わした救い人の御言葉を聞いて、
そのとおりに考えて行かなければならない。
松山観光ガイド番外編~郷土菓子「坊ちゃん団子」~
松山観光ボランティアガイド江藤です。
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ehimehistory.hatenablog.com
松山についてご紹介したところで、またまたちょっと一休み。
一休みするときには、ぜひ松山の郷土菓子をお召し上がりください。
今回ご紹介するのは、坊ちゃん団子です。
坊ちゃん団子の前身は湯ざらし団子といい、明治のはじめ頃道後温泉の近くで売られていたものです。
これを夏目漱石が温泉の帰りに度々食べて、これを小説「坊ちゃん」に書いたことから「坊ちゃん団子」と呼ばれるようになりました。
その後団子の色は小豆、卵、抹茶の3色をした現在の形となり、道後温泉と縁の深い銘菓となりました。
現在は松山の名菓として全国に知られています。
坊ちゃん団子は、様々なメーカー、菓子舗で製造販売されていますが、
その中の一つの菓子舗からは「マドンナ団子」たるものも販売されています。
「マドンナ団子」は2006年に夏目漱石の小説『坊っちゃん』が世に出て
ちょうど百年を迎えるのを記念して作られたそうです。
「坊ちゃん」と「マドンナ」の団子カップリングで製品になっています。
上がマドンナ団子、下が坊ちゃん団子です。
マドンナ団子は、いちご、ミルク、カフェオレ味となっており、何とも女性らしい
おしゃれな味になっていますね。
是非一度、ご賞味くださいませ。
チョンミョンソク先生の箴言
聖霊で悟ってこそ、きちんと認め、
自己主観や自分の意志で悟ることがない。
だから聖霊を呼びなさい。願い求めなさい。対話しなさい。
松山観光ガイドその41~三津の港~
松山観光ボランティアガイド江藤です。
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昔空路のない時代、航路の時代は松山の玄関は三津の港であったが、人の往来貨物の入出荷で繁盛していた町です。
もちろん漁師町も繁栄していたが、朝市は繁盛していました。
現在は少しさびれているが、今も残っているものがいくつかあります。
その一つは「三津の渡し」で港内を渡し舟が走っています。
松山市道が港で途切れているため迂回しなければならず、そのためにお客が来ればいつでも運んでくれる渡船が待機しています。
約100mの市道が途切れている海上を無料で渡してくれるミニフェリーです。
「おーい」と手を振ればすぐに迎えにきてくれるので、今は観光客で賑っており5分で向こう側に運んでくれます。
チョンミョンソク先生の箴言
主について、聖霊について、命の御言葉について、あなたの霊魂について、
引き上げについて、関心を持ちなさい。どんどん悟ろうとしなさい。
松山観光ガイドその40 ~松山の祭り~
松山観光ボランティアガイド江藤です。
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松山では四季ごとに祭りがあり、祭りの好きな方にとってはたまらない街です。
春には「椿さん」という椿神社のまつり、松山お城まつり、道後温泉まつりがあり、
夏には松山夏祭りとして野球拳おどり、鼓おどりがあり、
秋には松山秋祭りがあって各地域ごとに神輿を繰り出し、「もってこい、もってこい」との掛け声で神輿同士をぶっつけあう鉢合わせを行い豊作を祈願するとされています。
道後温泉駅前で行われる鉢合わせは毎年全国ニュースで取り上げられています。
冬には初子祭があり道後温泉の守り神である大国主命・少彦名命の祭りです。
松山秋祭りの様子をご覧ください。
チョンミョンソク先生の箴言
主について、聖霊について、命の御言葉について、あなたの霊魂について、
引き上げについて、関心を持ちなさい。どんどん悟ろうとしなさい。
松山観光ガイドその39~松山総合公園~
松山観光ボランティアガイド江藤です。
松山城から西の方角に遠くは瀬戸内海です。
その手前にポッカリと低い山が見えますが、山全体が総合公園になっています。
テッペンには展望台があって360度、瀬戸内海から石鎚山までそして松山市内全域が眺望できてきれいです。
この展望台は松山市がドイツのフライブルグという町と姉妹都市縁組をしていますが、
そのフライブルグにあるお城と同じものを作って展望台にしたものです。
ヨーロッパ風の石でできたお城でちょうど松山城と同じ位の高さになっています。
ちょうど松山城と対面しています。
この公園は展望台に登るルートがいくつかあり、その途中に
「さくらの丘」「椿園」紅葉道など四季折々に楽しめるルートがあって散策が楽しめます。
秋には紅葉
冬は山茶花(さざんか)
フライブルグ城と陽光桜
チョンミョンソク先生の箴言
祈ることに励みなさい。命を生かすことに励みなさい。
まことに時代の福音を伝え、伝導し、命を生かすべき時だ。
松山観光ガイド番外編~子規と漱石(その2)~
松山観光ボランティアガイド江藤です。
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そして漱石は初めて東京を離れてこんな田舎にやって来ることになりました。
初めて教壇に立ち、はじめていじめられました。
どういうことかといいますと、当時同僚の先生方が30人位いたんですが、その先生方からすると「一番若僧が一番高給取り」なわけで、しかも自分たちの何倍もの給料をもらうのが面白くない。
そんなわけでのけものにしたり、いたずらしたり、いじめたりしたんです。
漱石は着任して一か月位後に東京の子規に手紙を書いていますが「松山というところはなんと住みにくいところだ」と書いています。
東京の子規は心配になり夏休みになるのを待って帰省し、漱石の下宿「愚陀仏庵」に転がり込んで2か月弱二人が一緒に住みました。
この間、子規は漱石に文学を教えました。俳句も教えました。
其のころは文学に関しては二人は雲泥の差があって、子規が教えたんですが、後では漱石が逆転し、明治の文豪と言われるようになりました。
「はじめての泊りをしぐれけり」
明治28年(1895年)、夏目漱石が松山中学校の英語教師として赴任中、かねてから楽しみにしていた鮒屋旅館(現在のふなや)に宿泊しました。
その喜びを素直に表現したものです。
漱石は予定どおり1年間松山中学の英語の先生をやって、熊本の第五高等学校に転勤しました。
熊本には4年間も教員をやっていますが、誰も熊本の4年間のことを知りませんね。
逆に松山の1年間のことはみんな知っていますね。
漱石はその後ロンドンに留学し2年間英国滞在していますが、その間に子規が肺結核で亡くなってしまいます。
漱石は慌てて帰国しますが間に合わず大変悔しい思いをしたそうです。
漱石は松山にいたころから10年たって小説「坊ちゃん」を出しましたが、10年前の松山のことを事細かく書いています。
私たち地元の者がこの本を読むと、松山のことが「ボロのチョン」に書かれています。
いわゆる上から目線で書かれていますが、松山市民の感覚はいわゆる人の悪口を面白おかしく言うのが大好きで、この「坊ちゃん」は松山人の心をつかんでいて、悪口を言われているのに大好きです。
そしてこの坊ちゃんがいろんなことに名前として使われています。例えば「坊ちゃんだんご」、「坊ちゃんの湯」、「坊ちゃん列車」、「坊ちゃんスタジアム」など数えきれない程です。
それだけ「坊ちゃん」が愛されている訳です。
「坊ちゃん団子」
小説「坊ちゃん」はみんな学生の頃に読んでいますね。
ですから読んだ通りに受け取っていると思いますが、このような裏側を知って読んでいただければ更に面白いと思います。
この本は薄い本ですからもう一度読んで頂きたいと思います。
以上で松山城ガイドのお話を終わりますが、お帰りの際、さきほど登ってきた本丸広場に売店があり、蛇口をひねるとミカンジュースが出てくるという松山名物がありますのでぜひお立ち寄りください。
チョンミョンソク先生の箴言
<神様の創造目的>は、人間が地上で三位一体を最高に愛して
「愛の対象体」になって、地上で肉ででも、天国で霊ででも、
三位一体を愛して生きることだ。
松山観光ガイドその46~俳句甲子園~
松山観光ボランティアガイド江藤です。
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観光ではありませんが、毎年8月に松山で行われているイベントをご紹介したいと思います。
「俳句甲子園」は、松山市で毎年8月に開催されている、高校生を対象とした俳句コンクール「全国高校俳句選手権大会」です。
松山が正岡子規や高浜虚子など著名な俳人の出身地であることから、これにあやかって1998年に始まったものです。
全国各地で地方予選があり、予選を勝ち抜いた高校生たちが松山で開かれる全国大会に集まってきます。
一般の俳句大会と異なるのは、5人1組のチームで参加すること。また、議論による俳句の鑑賞力を競うところです。
試合は赤白に分かれ対戦します。各チーム一句ずつ披露し、それぞれ制限時間内に質疑応答を行います。
両方の句に対して議論が終了すると、複数の審査員が旗を揚げ判定を行い勝敗を決めます。
判定は、俳句の「作品点」と「鑑賞点」とを合計した点で行います。
俳句甲子園の試合は「作品点」と「鑑賞点」とで競います。「作品点」は俳句の出来、「鑑賞点」は議論の内容を評価します。
議論は赤白チームそれぞれの俳句に対して、質疑応答の形式で行います。
俳句の基本的な知識に基づいて、議論を展開できたチームが有利となります。
こんな風に商店街(大街道)の中で行われています。
もし運よく見かけた際は、俳句だけでなく議論もお聞きになってみてください。