愛媛観光案内!松山の歴史探放記

この道20年!松山ボランティア観光ガイドが松山のおすすめスポットと裏話を発信します!

松山観光ガイド番外編~郷土菓子「温泉煎餅」~

松山観光ボランティアガイド江藤です。

前回の記事はこちら。 

ehimehistory.hatenablog.com

 

それでは、郷土菓子で一休みしましょう。

 

正岡子規も好物だったという、明治15年創業玉泉堂本舗(ぎょくせんどうほんぽ)の名物煎餅です。

道後温泉のシンボル玉の石をかたどった煎餅で、軽い歯ざわりとさっぱりした味の煎餅です。

材料は小麦粉、砂糖、卵のみを使用した初代からの製法で、今も一枚一枚手焼きで作っている人気の高い煎餅です。

予約しておいてお店に来ないと買えないという噂です。

 

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老舗ならではの佇まいで、商店街にあっても特別な存在感ですね。

 

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缶入り50枚 2100円です。

手作りにこだわり、一日の生産量は50缶に限定しているため、予約しなければ買えないそうです。

 

 

 

松山観光ガイドその45~松山うまいもの(3)緋の蕪漬け(ひのかぶらづけ)~

松山観光ボランティアガイド江藤です。

前回の記事はこち

ehimehistory.hatenablog.com

 

次は色鮮やかな「緋の蕪漬け(ひのかぶらづけ)」です。

 

江戸時代の初めごろ時のお殿様松平定行が伊勢から伝えたともいわれているもので、中予地方で主に栽培されている蕪(かぶら)です。

『緋のかぶら』の原種は、近江国(現在の滋賀県)の日野菜(ひのな)カブです。近江から移植された日野菜カブは、『湯の町・道後』で温かく丸々と育ち、長い年月を経て改良され、現在の「緋のかぶら」が生まれました。

 

『緋のかぶら』には、アントシアニンという色素が多く含れています。緋の蕪漬の鮮やかな紅色に「人工着色では?」と疑われることもありますが、この色の正体は、天然のアントシアニンです。

このアントシアニンが酢の成分と反応して、赤く発色するのです。

緋色の色素のアントシアンは15~20度の低温で発色するもので、松山では冬の風物詩としてお正月には欠かせないものです。

 

そして『緋の蕪漬』をより赤く発色するために使われる酢は、『柑橘王国・愛媛』にふさわしいダイダイ酢です。

ダイダイ酢は、香味・色沢の面で大変優れており、「米酢だと酸味が強すぎるので、ダイダイ酢にすることで酸味をやわらかにしている。」といいます。

外側は赤紫、中は白色の蕪を柑橘酢に漬け込むと、鮮やかな緋色になることから命名されたものです。

 

俳人 正岡子規も「緋の蕪や 膳のまわりも 春景色」と詠んだ、柑橘王国愛媛にふさわしいお漬物です。

 

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お土産にもどうぞ。

 

 

チョンミョンソク先生の箴言

 

御子が去られる前に、御子を愛して中世を尽くしなさい。

必ず何かをする前に、確認して、行いなさい。

この二つの御言葉は、「神様と聖霊様と御子の命令」だ。

 

 

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松山観光ガイドその44~松山のうまいもの(2)五色そうめん~

松山観光ボランティアガイド江藤です。

前回の記事はこちら

ehimehistory.hatenablog.com

 

続きましては「五色そうめん」です。

 

もともと「伊予そうめん」が始まりとされていますが、そこの当主が松山椿神社にお参りした時下駄に五色の糸がからまり、神の啓示だと苦心の末作ったのが始まりと言われています。

紅花の赤、くちなしの黄、抹茶の緑、そば粉の茶、何も入れない白の5色に色付けされた江戸時代からつづく伝統の味です。

八代将軍吉宗や、朝廷にも献上されたといわれます。

 

開発した当時は赤は紅花・黄色はクチナシ・濃紺は高菜・緑はクチナシと高菜で色を付けたそうですが、現在は赤は梅肉・緑は抹茶・黄は卵・茶はそば粉を使い人工着色量は使っていないんです。

 

手延べで細いながらもコシのあるうまいそうめんです。

 

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チョンミョンソク先生の箴言

 

毎日「主の帆」をつけて生きなさい。

そうすれば<肉>も<霊>も100パーセント勝利し、栄える。

 

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松山観光ガイドその43~松山のうまいもの(1)鯛めし~

 松山観光ボランティアガイド江藤です。

前回の記事はこちら

ehimehistory.hatenablog.com

 

松山のいろんなガイドを聞いて頂きました。

そろそろお腹も空くでしょうから、ここからは松山のうまいものを紹介いたしましょう。

 

まずは「鯛めし」です。

 

松山の鯛めしには2種類あって、お好きな方を選んでください。

一つ目は北条鹿島地方で見られる鯛めしで、米の上に昆布を敷きその上に鯛を丸ごとおいて炊き上げるもので、昆布と鯛のうまみがご飯に混ざり合う豪快な炊き込みご飯です。

神功皇后が朝鮮に出陣する途中この地方の鹿島神社で必勝を祈願した際、漁民が献上した鯛を鯛めしにし、神に献上したと言い伝えられています。

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二つ目は南予地方で盛んな鯛めしで、丼にご飯を盛りその上に鯛の刺身をぐるりと乗せ、生卵をかけ醤油をかけて食べる豪快な食べ方の、漁師が船の上でつくったものと伝えられ豪快に食べられています。

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平成19年(2007)の資料によると、愛媛県は鯛の全国年間生産量約7万1千トンのうち約4万トンと、全国の半分以上の鯛を生産しています。

平成2年(1990)から全国第一位となった愛媛県は、それからその位置をずっと維持しており、第二位の熊本県が約10%の生産量ですから、他県を大きく引き離しています。

 

愛媛に来たら、ぜひ鯛を味わって頂きたいものです。

 

 

チョンミョンソク先生の箴言

 

必要なことだけふさわしくしよう。

肉で分かったら正しく分からない。

神のように生きなさい、御子のように生きなさいということだ。

 

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松山観光ガイドその42~坂の上の雲ミュージアム~

松山観光ボランティアガイド江藤です。

 

さて、皆さんは司馬遼太郎の長編歴史小説坂の上の雲」をご存じでしょうか。

産経新聞(夕刊)」に1968(昭和43)年4月22日 〜1972(昭和47)年8月4日にかけて、4年半にわたり連載され、計1296回だそうです。

 

この小説の主人公、秋山好古秋山真之正岡子規、この3人ともに松山出身なのです。

また、2009年から2012年までNHKでテレビドラマで放送されました。

その影響もあり、このミュージアムにも多くの方々が訪れるようになりました。

 

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建物も特徴的であり、建築家・安藤忠雄氏による設計です。

 

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回廊式になっており、ゆっくと展示物を見ながら上がっていきます。

 

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この階段は「空中階段」と言われ、3階と4階を接続する階段ですが、最も負荷のかかる中間部分の支柱を抜いた構造となっています。とても珍しい構造だそうですよ。

 

 

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入ってすぐのフロアには、書籍の資料が自由に読めるスペースがあります。こちらは無料で利用ができます。

またカフェにもなっており、松山名菓も食べられます。

 

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窓の外には「萬翠荘(ばんすいそう)」が見えます。

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萬翠荘」は、大正11年(1922年)旧松山藩主の子孫にあたる久松定謨(ひさまつさだこと)伯爵が、別邸として建設したものです。

昭和60年(1985年)に愛媛県指定有形文化財、平成23年11月に国の重要文化財に指定されています。

有料ですが、邸宅の中も見学できます。

 

松山城からすぐの場所にありますので、ぜひこちらにも足を運んでくださったら良いと思います。

 

 

チョンミョンソク先生の箴言

 

全能者神様と、御子と、神様と御子が遣わした救い人の御言葉を聞いて、

そのとおりに考えて行かなければならない。

 

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松山観光ガイド番外編~郷土菓子「坊ちゃん団子」~

松山観光ボランティアガイド江藤です。

前回記事はこちら
ehimehistory.hatenablog.com

 

松山についてご紹介したところで、またまたちょっと一休み。

一休みするときには、ぜひ松山の郷土菓子をお召し上がりください。

 

今回ご紹介するのは、坊ちゃん団子です。

 

坊ちゃん団子の前身は湯ざらし団子といい、明治のはじめ頃道後温泉の近くで売られていたものです。

これを夏目漱石が温泉の帰りに度々食べて、これを小説「坊ちゃん」に書いたことから「坊ちゃん団子」と呼ばれるようになりました。

その後団子の色は小豆、卵、抹茶の3色をした現在の形となり、道後温泉と縁の深い銘菓となりました。

現在は松山の名菓として全国に知られています。

 

坊ちゃん団子は、様々なメーカー、菓子舗で製造販売されていますが、

その中の一つの菓子舗からは「マドンナ団子」たるものも販売されています。

 

「マドンナ団子」は2006年に夏目漱石の小説『坊っちゃん』が世に出て
ちょうど百年を迎えるのを記念して作られたそうです。

 

「坊ちゃん」と「マドンナ」の団子カップリングで製品になっています。

 

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上がマドンナ団子、下が坊ちゃん団子です。

 

マドンナ団子は、いちご、ミルク、カフェオレ味となっており、何とも女性らしい

おしゃれな味になっていますね。

 

是非一度、ご賞味くださいませ。

 

 

チョンミョンソク先生の箴言

 

聖霊で悟ってこそ、きちんと認め、

自己主観や自分の意志で悟ることがない。

だから聖霊を呼びなさい。願い求めなさい。対話しなさい。

 

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松山観光ガイドその41~三津の港~

松山観光ボランティアガイド江藤です。

 前回の記事はこちら

ehimehistory.hatenablog.com

 

昔空路のない時代、航路の時代は松山の玄関は三津の港であったが、人の往来貨物の入出荷で繁盛していた町です。

もちろん漁師町も繁栄していたが、朝市は繁盛していました。

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現在は少しさびれているが、今も残っているものがいくつかあります。

その一つは「三津の渡し」で港内を渡し舟が走っています。

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松山市道が港で途切れているため迂回しなければならず、そのためにお客が来ればいつでも運んでくれる渡船が待機しています。

約100mの市道が途切れている海上を無料で渡してくれるミニフェリーです。

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「おーい」と手を振ればすぐに迎えにきてくれるので、今は観光客で賑っており5分で向こう側に運んでくれます。

 

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チョンミョンソク先生の箴言

 

主について、聖霊について、命の御言葉について、あなたの霊魂について、

引き上げについて、関心を持ちなさい。どんどん悟ろうとしなさい。

 

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