愛媛観光案内!松山の歴史探放記

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松山観光ガイドその27~四国名城松山城(11)紫竹門(しちくもん)、乾櫓(いぬいやぐら)、野原櫓(のはらやぐら)~

松山観光ボランティアガイド江藤です。

前回記事はこちら

ehimehistory.hatenablog.com

11.紫竹門(しちくもん)、乾櫓(いぬいやぐら)、野原櫓(のはらやぐら)

 

お客様のほとんどは直行で天守閣に登りますが、こちらにも見るべきものはあります。

紫竹門は門を入ったところに紫の竹の群生があり、この名がついています。ちょっとめずらしい紫の竹です。

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紫竹(しちく)です。

 

 

ここから白塀が続いていますが、穴があいていますね。これは分かりますよね。そうです鉄砲を撃つ穴です。

縦長の穴は矢を打つ穴で、小さな穴が鉄砲を撃つ穴でそれぞれ矢狭間、鉄砲狭間といいます。

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一人づつこの穴を受け持って鉄砲で狙ってみて下さい。

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さらにここには石落としも作りこんであります。敵が大勢この石垣を登り始めたら石落としの板をはいで、水路になっているこの石をはずして落そうという計画です。

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続きまして・・・

こちらの本丸の石垣を見てください。

石垣の造りが大分緻密になっていますね。先程、揚木戸門跡で見た石垣に比べると丈夫にまた登り難くなっています。

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そしてこの角の部分をよく見ると角の稜線が実に緻密に作られていて、石の積み方が下から1段目は右に長い石を、2段目は左に長い石を積み、交互に同じように最上段までこのように積まれていて、角の強度を守っています。

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更によく見ると最下段の石は斜め下向きに積まれ、最上段は水平に積まれていて、下から少しづつ角度を調整して積んであって、これで積まれた石の重力が一か所に集中するのを避け、分散するように造られているのですね。

頭の良い石工さんがいたのですね。

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こちらは乾櫓(いぬいやぐら)と野原櫓(のはらやぐら)ですが、この二つの櫓は400年前からこの場所に建っています。

400年前に正木城というお城から移築したもので、ここに座ってから400年になります。

その正木城にいつ作られたかは記録がないので分かりませんが、400数十年前のことでしょう。

今では2年ごとに内部の開放点検が行われますが、まだ大きないたみは見受けられないので、私はまだ100年は大丈夫かなと思っています。

この櫓はやぐらといいますが、もともと矢の倉だったんですね。

敵が攻めてきたとき味方はこの櫓に駆けつければ、すぐに戦闘態勢につくことが出来るように各所に作られています。

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こちらが乾櫓で、

 

 

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こちらが野原櫓です。

 

チョンミョンソク先生の箴言

 

世の中は「名誉・権勢・財物・外見・学歴」などを見て「価値」を計算する。

しかしこのようなものは永遠ではない。しばしだ。

 

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