愛媛観光案内!松山の歴史探放記

この道20年!松山ボランティア観光ガイドが松山のおすすめスポットと裏話を発信します!

松山観光ガイドその40 ~松山の祭り~

松山観光ボランティアガイド江藤です。

前回の記事はこちら

 

ehimehistory.hatenablog.com

 

松山では四季ごとに祭りがあり、祭りの好きな方にとってはたまらない街です。

春には「椿さん」という椿神社のまつり、松山お城まつり、道後温泉まつりがあり、

夏には松山夏祭りとして野球拳おどり、鼓おどりがあり、

秋には松山秋祭りがあって各地域ごとに神輿を繰り出し、「もってこい、もってこい」との掛け声で神輿同士をぶっつけあう鉢合わせを行い豊作を祈願するとされています。

道後温泉駅前で行われる鉢合わせは毎年全国ニュースで取り上げられています

冬には初子祭があり道後温泉の守り神である大国主命少彦名命の祭りです。

 

 

松山秋祭りの様子をご覧ください。 

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チョンミョンソク先生の箴言

 

主について、聖霊について、命の御言葉について、あなたの霊魂について、

引き上げについて、関心を持ちなさい。どんどん悟ろうとしなさい。

 

 

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松山観光ガイドその39~松山総合公園~

松山観光ボランティアガイド江藤です。

 

松山城から西の方角に遠くは瀬戸内海です。

その手前にポッカリと低い山が見えますが、山全体が総合公園になっています。

テッペンには展望台があって360度、瀬戸内海から石鎚山までそして松山市内全域が眺望できてきれいです。

この展望台は松山市がドイツのフライブルグという町と姉妹都市縁組をしていますが、

そのフライブルグにあるお城と同じものを作って展望台にしたものです。

ヨーロッパ風の石でできたお城でちょうど松山城と同じ位の高さになっています。

 

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ちょうど松山城と対面しています。

 

この公園は展望台に登るルートがいくつかあり、その途中に

「さくらの丘」「椿園」紅葉道など四季折々に楽しめるルートがあって散策が楽しめます。

 

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秋には紅葉

 

f:id:ehimehistory:20170427124559j:plain冬は山茶花(さざんか)

 

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フライブルグ城と陽光桜

 

チョンミョンソク先生の箴言

 

祈ることに励みなさい。命を生かすことに励みなさい。

まことに時代の福音を伝え、伝導し、命を生かすべき時だ。

 

 

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松山観光ガイド番外編~子規と漱石(その2)~

松山観光ボランティアガイド江藤です。

前回の記事はこちら

 

ehimehistory.hatenablog.com

 

 

そして漱石は初めて東京を離れてこんな田舎にやって来ることになりました。

初めて教壇に立ち、はじめていじめられました。

どういうことかといいますと、当時同僚の先生方が30人位いたんですが、その先生方からすると「一番若僧が一番高給取り」なわけで、しかも自分たちの何倍もの給料をもらうのが面白くない。

そんなわけでのけものにしたり、いたずらしたり、いじめたりしたんです。

漱石は着任して一か月位後に東京の子規に手紙を書いていますが「松山というところはなんと住みにくいところだ」と書いています。

東京の子規は心配になり夏休みになるのを待って帰省し、漱石の下宿「愚陀仏庵」に転がり込んで2か月弱二人が一緒に住みました。

この間、子規は漱石に文学を教えました。俳句も教えました。

其のころは文学に関しては二人は雲泥の差があって、子規が教えたんですが、後では漱石が逆転し、明治の文豪と言われるようになりました。

 

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「はじめての泊りをしぐれけり」

明治28年(1895年)、夏目漱石が松山中学校の英語教師として赴任中、かねてから楽しみにしていた鮒屋旅館(現在のふなや)に宿泊しました。

その喜びを素直に表現したものです。

 

漱石は予定どおり1年間松山中学の英語の先生をやって、熊本の第五高等学校に転勤しました。

熊本には4年間も教員をやっていますが、誰も熊本の4年間のことを知りませんね。

逆に松山の1年間のことはみんな知っていますね。

漱石はその後ロンドンに留学し2年間英国滞在していますが、その間に子規が肺結核で亡くなってしまいます。

漱石は慌てて帰国しますが間に合わず大変悔しい思いをしたそうです。

漱石は松山にいたころから10年たって小説「坊ちゃん」を出しましたが、10年前の松山のことを事細かく書いています。

私たち地元の者がこの本を読むと、松山のことが「ボロのチョン」に書かれています。

いわゆる上から目線で書かれていますが、松山市民の感覚はいわゆる人の悪口を面白おかしく言うのが大好きで、この「坊ちゃん」は松山人の心をつかんでいて、悪口を言われているのに大好きです。

そしてこの坊ちゃんがいろんなことに名前として使われています。例えば「坊ちゃんだんご」、「坊ちゃんの湯」、「坊ちゃん列車」、「坊ちゃんスタジアム」など数えきれない程です。

それだけ「坊ちゃん」が愛されている訳です。

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「坊ちゃん団子」

 

小説「坊ちゃん」はみんな学生の頃に読んでいますね。

ですから読んだ通りに受け取っていると思いますが、このような裏側を知って読んでいただければ更に面白いと思います。

この本は薄い本ですからもう一度読んで頂きたいと思います。

 

以上で松山城ガイドのお話を終わりますが、お帰りの際、さきほど登ってきた本丸広場に売店があり、蛇口をひねるとミカンジュースが出てくるという松山名物がありますのでぜひお立ち寄りください。

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チョンミョンソク先生の箴言

 

<神様の創造目的>は、人間が地上で三位一体を最高に愛して

「愛の対象体」になって、地上で肉ででも、天国で霊ででも、

三位一体を愛して生きることだ。

 

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松山観光ガイドその46~俳句甲子園~

松山観光ボランティアガイド江藤です。

 前回記事はこち

ehimehistory.hatenablog.com

 

観光ではありませんが、毎年8月に松山で行われているイベントをご紹介したいと思います。

 

俳句甲子園」は、松山市で毎年8月に開催されている、高校生を対象とした俳句コンクール「全国高校俳句選手権大会」です。

松山が正岡子規高浜虚子など著名な俳人の出身地であることから、これにあやかって1998年に始まったものです。

全国各地で地方予選があり、予選を勝ち抜いた高校生たちが松山で開かれる全国大会に集まってきます。

 

一般の俳句大会と異なるのは、5人1組のチームで参加すること。また、議論による俳句の鑑賞力を競うところです。

 

試合は赤白に分かれ対戦します。各チーム一句ずつ披露し、それぞれ制限時間内に質疑応答を行います。
両方の句に対して議論が終了すると、複数の審査員が旗を揚げ判定を行い勝敗を決めます。
判定は、俳句の「作品点」と「鑑賞点」とを合計した点で行います。

 

俳句甲子園の試合は「作品点」と「鑑賞点」とで競います。「作品点」は俳句の出来、「鑑賞点」は議論の内容を評価します。
議論は赤白チームそれぞれの俳句に対して、質疑応答の形式で行います。
俳句の基本的な知識に基づいて、議論を展開できたチームが有利となります。 

 

 

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こんな風に商店街(大街道)の中で行われています。

 

もし運よく見かけた際は、俳句だけでなく議論もお聞きになってみてください。

 

 

 

松山観光ガイド番外編~子規と漱石(その1)~

松山観光ボランティアガイド江藤です。

前回の記事はこちら

ehimehistory.hatenablog.com

 

松山城天守閣最上階をぐるっと見渡しましたので、

ここで松山とゆかりの深い人物を紹介したいと思います。

 

この松山城の南側麓に赤白の鉄塔が見えますが、現在NTT四国のアンテナです。

明治の頃、この場所には松山中学がありました。

この松山中学に夏目漱石が赴任してきたんですね。

夏目漱石は東京生まれ東京育ちのいわゆるお坊ちゃまだったんですが、東大の英文を出たエリート中のエリートになりました。

そんな人がどうしてこんな田舎にやってきたんでしょう。

正岡子規も松山中学を出て東大に入りましたが、子規と漱石は同級生で二人は親友になりました。

松山中学が出来たころ地元では英語の先生が欲しいと言い出しました。

そこで東京に行っている子規に誰か良い人はいないかと連絡しました。

しかし当時全国でも英語の先生は10人もいない位でした。子規は親友の漱石が英語が出来てやがて卒業するよと返信しました。

その人を何とか口説いてほしい旨連絡があり、子規が漱石に打診したところ、「なんで松山なんかに行くんぞ」と言っていました。

そのことを子規が地元に伝えたので、地元では有力者が集まって対策会議を行ったんですね。

その結論は当時の松山中学の校長先生よりも高給にするからゲットしてほしいというものでした。

子規の交渉は簡単ではなかったんですが、結局「1年間だけぞ」ということでOKになりました。

 

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夏目漱石も気に入って使ったという道後温泉本館の休憩室

 

 

チョンミョンソク先生の箴言

 

<霊>が「最高の世界、黄金の城」に行くのだから、

<肉>も「最高に」行なうべきではないか。

もう少しやれば、美しく神秘的で雄大になる。

 

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松山観光ガイドその38~四国名城松山城(21)天守閣最上階・東側~

松山観光ボランティアガイド江藤です。

前回の記事はこちら

ehimehistory.hatenablog.com

 

東側には道後温泉街が見えます。

道後温泉街で一番有名なのは道後温泉本館ですが、この本館はここからは見えません。

昔は見えていたそうですが、周りのホテル街のほうが建物が高くなり見えなくなってしまいました。

道後温泉本館は明治の中頃建て替えられましたが、今年123歳になります。

木造の建物で123年の今も現役でお客様を迎えていますが、南海トラフの大地震が予想されており、この地震には耐えられないかもと言われています。

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今年松山では国体が行われますので、それが済んだら建て替えようと計画が進んでいます。

建て替えられる前に、今年中にぜひ現在の道後温泉本館のお風呂に入りにお出で下さい。

 

愛媛県のゆるきゃら「みきゃん」です。

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チョンミョンソク先生の箴言

 

三位一体は人をつくられるが、<初め>も「神様のもの」であり、

<全てつくった後>も愛して「神様のもの」とされる。

 

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松山観光ガイドその37~四国名城松山城(20)天守閣最上階・南側~

松山観光ボランティアガイド江藤です。

前回記事はこちら

 

ehimehistory.hatenablog.com

 

南側からは松山市の中心街が見えます。

そのすぐ向こうにグリーンベルトが見えていますが、石手川と言います。

このお城をつくるとき、この山の下を流れていた川が暴れ川でして、しょっちゅう氾濫していましたので、川を付け替えて人工の川をつくりました。

長さが6km位ありますが、この川のおかげで川の氾濫もなくなり、お米の収量がうんと増えたと言われています。

そして松山城の築城の際、幕府に築城申請をだしましたが、当時あちこちから築城申請が出され幕府がいちいち調べに行くことができなかったらしく、

幕府は第1順位の申請場所は後で幕府が攻める事態になったとき困るような場所になっているかもしれないと思って第1候補の場所はダメという方針を持っていたそうです。

そこで松山藩はこの場所をわざと第2候補として出したところ、案の定第1候補はダメと言われ、ねらったとおりこの場所に築城することができました。

 

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 天守閣最上階から見る本丸広場

 

チョンミョンソク先生の箴言

 

大きい仕事は私たちにはできないから

神様が私たちの手足となって一緒にやって下さるが、

小さいことは自分たちの責任分担なのでしなければならない。

 

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