松山観光ガイド番外編~子規と漱石(その1)~
松山観光ボランティアガイド江藤です。
前回の記事はこちら
ここで松山とゆかりの深い人物を紹介したいと思います。
この松山城の南側麓に赤白の鉄塔が見えますが、現在NTT四国のアンテナです。
明治の頃、この場所には松山中学がありました。
この松山中学に夏目漱石が赴任してきたんですね。
夏目漱石は東京生まれ東京育ちのいわゆるお坊ちゃまだったんですが、東大の英文を出たエリート中のエリートになりました。
そんな人がどうしてこんな田舎にやってきたんでしょう。
正岡子規も松山中学を出て東大に入りましたが、子規と漱石は同級生で二人は親友になりました。
松山中学が出来たころ地元では英語の先生が欲しいと言い出しました。
そこで東京に行っている子規に誰か良い人はいないかと連絡しました。
しかし当時全国でも英語の先生は10人もいない位でした。子規は親友の漱石が英語が出来てやがて卒業するよと返信しました。
その人を何とか口説いてほしい旨連絡があり、子規が漱石に打診したところ、「なんで松山なんかに行くんぞ」と言っていました。
そのことを子規が地元に伝えたので、地元では有力者が集まって対策会議を行ったんですね。
その結論は当時の松山中学の校長先生よりも高給にするからゲットしてほしいというものでした。
子規の交渉は簡単ではなかったんですが、結局「1年間だけぞ」ということでOKになりました。
チョンミョンソク先生の箴言
<霊>が「最高の世界、黄金の城」に行くのだから、
<肉>も「最高に」行なうべきではないか。
もう少しやれば、美しく神秘的で雄大になる。