松山観光ガイドその24~四国名城松山城(8)太鼓門~
松山観光ボランティアガイド江藤です。
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8、太鼓門
筒井門から一段登ったら太鼓門が待ち構えています。
左右は太鼓櫓、巽櫓が続いており敵の侵入が困難なつくりになっています。
太鼓門も戦災で焼けて戦後に復興したものです。
太鼓門も他の門と同じく門扉を閉めたとき、かんぬきを通して扉が開かないように大きなカギになっています。
このかんぬきを漢字で書くと門がまえの中に一を書いて「閂」という字になっています。
見たまんまの漢字になっていますね。
また、太鼓門は鉋(かんな)で木を削ったのではなく、長い斧(ちょうな)で削ったものです。
表面がでこぼこしているのが分かります。手を加えて加工したものなのです。
こちらもぜひ、直接触ってみてください。
チョンミョンソク先生の箴言
<食べ物>もその時食べられなければ本来の味が変わる。
<仕事>もその時できなければ、仕事の味がなくなって、やらなくなる。
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松山観光ガイドその25~四国名城松山城(9)井戸~
松山観光ガイドその23~四国名城松山城(7)三連門~
松山観光ボランティアガイド江藤です。
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戸無門(となしもん)、筒井門(つついもん)、隠門(かくれもん)の3つの門が
連なって敵の侵入を防ぐ構造になっており、それぞれの門に役割が有ります。
戸無し門はその名の通り扉のない門で、本来扉があってこそ門なのに、わざわざ扉のない門を作ってあります。
ご覧の通り全く戸がありません。
これは敵が攻めてきたときに、敵を呼び込むために扉のない門で誘導している訳です。
敵としてはこれ幸いに攻め込むことが出来るが、すぐ隣にこの松山城で一番大きな筒井門があり、常時門が閉められていて敵は行き止まりの袋小路にはいってしまいます。
これが筒井門です。現在は観光客の皆さまが通れるように常時開いていますが、
当時この門は常時閉められていました。
このとき進入路からは見えないように作られている隠れ門から中の守備隊が扉を開けて出てきて袋小路の敵を全滅しようという作戦で三連門が作られている訳です。
こちらが隠門です。ちょっと奥まったところにあるので、確かに敵にも見つかりにくいですね。
ところで、この門の両側の柱をよくご覧ください。片方は400年前のまま、片方は4年前に修復されたものです(^^;;
見た目そっくりにしてありますが・・・触ってみると一発で分かります。
是非、実際に触って確認してみてください。
こちらは、筒井門の扉です。
大きく立派な扉ですが、一枚板で作られています。
戦後、不審火で焼けてしまった為に復元されたものですが、その当時皇居建て替えの
為に育てられていた木が使われたといいます。
皇居の建て替えが必要になった時にどうするのか・・・私はちょっと心配しています。
チョンミョンソク先生の箴言
お金よりももっと貴重なものは「時間」だ。
<時間>があってこそ、「お金」も稼ぎ、「成功」もする。
<時間>があってこそ、「稼いだお金」も使い、「名誉」も享受する。
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松山観光ガイドその24~四国名城松山城(8)太鼓門~
松山観光ガイド番外編~子規と野球~
松山観光ボランティアガイド江藤です。
「坊ちゃんスタジアム」の話が出てきましたので、
ここで正岡子規と野球についてお話ししておきます。
あの「坊ちゃんスタジアム」には子規の像があり子規が野球殿堂入りしたことを証明する資料が展示されています。
子規が野球に出会ったのは明治の頃、アメリカからベースボールがつたえられた頃彼は学生だったんですが、
すぐにベースボールに夢中になり「野球」と書いて「のボール」と読ませました。じつは彼の幼名が「升」(のぼる)だったことから名付けたものです。
そのほかに「投手・捕手」「打者・走者」「直球・四球」などを命名し、この言葉は今日まで使われており、
特に新聞・雑誌には彼の活字が使われており、今日でも彼の言葉は生きているというわけで殿堂入りしたわけです。
チョンミョンソク先生の箴言
各自成功できる「自分という材料」がある。
しかし目標を決めなさい。構想しなさい。設計しなさい。考えなさい。
そして行ないなさい。
松山観光ガイドその22~四国名城松山城(6)展望台~
松山観光ボランティアガイド江藤です。
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6.展望台
戸無門、筒井門、隠れ門の説明に入る前に展望台から見下ろしてみましょう。
まず右手奥は瀬戸内海です。また、左手奥は石鎚山です。
天気の良い日には山から海まで見渡せてそれはきれいです。
石鎚山は標高が1982mあって大阪以西では一番高い山です。
山が好きな方にとってはたまらない山だそうです。
どこからでもこのお城が見られるように威厳をほこっています。
松山市は人口が52万人位の中核都市ですが四国の中では一番大きな都市です。
真下に高島屋の観覧車が見えますが、この高島屋の前から左手の道後温泉まで
市内電車の間をぬって「坊ちゃん列車」が走っています。
明治の頃今の電車の前の時代ですが市内をミニSLが黒煙をはいて走っていました。
そのころ夏目漱石が松山に赴任し、下宿の愚陀仏庵から道後温泉に行くときにこの列車に乗ったことを
小説「坊ちゃん」に書いたことから「坊ちゃん列車」と呼ばれるようになりました。
ぜひ「坊っちゃん列車」に体験乗車をお勧めします。明治の頃が体験できると思います。
観覧車の右手奥には丸い形の大きな建物が見えますが「坊っちゃんスタジアム」という野球場です。
以前はこのお城の下に市民球場というのがあったんですが10数年前にあちらに移転しました。
そして「坊ちゃんスタジアム」と名前が変わりましたが松山の球場らしくなりました。
チョンミョンソク先生の箴言
<永遠な価値を持った引き上げ>は、「肉」が人生を生きる間、一生もって生きるし、
「霊」が永遠に持って生きるようになる。永遠な価値だ。
松山観光ガイドその21~四国名城松山城(5)太鼓櫓(たいこやぐら)~
松山観光ボランティアガイド江藤です。
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5.太鼓櫓(たいこやぐら)
見上げると櫓が見えますが太鼓櫓といいます。
昔はこの2階の窓を開けて6:00,12:00,18;00に太鼓をたたいて城下に時を知らせていました。
昔は街中でも静かだったんですね。街中聞こえていたそうです。
でも一番の目的は敵が攻めてきたときに部下を呼び集める目的の太鼓だったんですね。
一度も使ったことはありませんでしたが。
この櫓の下で道はUターンしていますね。
敵が攻めてきた時に、敵方からすれば最短距離で天守閣に行きたい訳ですが、
この道をまっすぐ行くと下に落ちるような造りになっています。
敵は止む無くUターンせざるを得ない訳で、これで勢いを弱められるといいます。
このようにいくつもの敵に対する仕掛けががあります。
チョンミョンソク先生の箴言
全知全能なる神様は いつも炎のような目で
人間を見つめるとおっしゃった。
だからその対象である人間が話すか、探すかしたら、
すぐに分かって通じる。
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松山観光ガイドその22~四国名城松山城(6)展望台~
松山観光ガイドその20~四国名城松山城(4)大手門跡~
松山観光ボランティアガイド江藤です。
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4.大手門跡
この場所から見上げる天守閣がビューポイントの1番目です。石垣の一番奥に見えているのが天守閣です。先程の子規の句「松山や 秋より高き 天主閣」もここから見ればなるほどと感じられると思います。
実はここにも門がありましたがいつの時代か焼けてしまい、設計図も焼けちゃって復元できずにいます。
大手門はそのお城の玄関という意味があり、じつはここが玄関なんです。
お殿様はここから麓におりた所に二の丸というお殿様のお住まいがあり、毎日ここを通勤なさっていました。
歩いてか、お籠でかは定かでありませんが、登ってこられ最初にはいる門が大手門ということになりました。
今はこの二の丸は二の丸庭園と呼ばれ恋人の聖地ともいわれていますが、ここから10~15分でいけますよ。
チョンミョンソク先生の箴言
どんなことでも「適時」にやってこそ問題が解決できる。
大きいことでも、小さいことでも「適時」にやって
問題を解決したことが本当に大きい。
松山観光ガイド番外編~松山城と陽光桜~
松山観光ボランティアガイド江藤です。
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ここで一息。
揚木戸門跡付近に咲く「陽光桜(ヨウコウザクラ)」をしばしご覧ください。
陽光桜(ヨウコウザクラ)は「里桜」の天城吉野(アマギヨシノ)と寒緋桜(カンヒザクラ)との交配によって作出されました。
作者は愛媛県の高岡正明さんです。
元教師だった高岡さんは、送り出した教え子たちが戦場に散ったことを悼む鎮魂の旅に出た沖縄で寒緋桜(カンヒザクラ)と出会い、この桜が生まれることにつながったといいいます。
改良25年にして作出された陽光桜(ヨウコウザクラ)を、作者は「平和のシンボル」として各地に贈り続けました。
チョンミョンソク先生の箴言
戦後70年
世界は一つ 地球は一つ 真理も一つ