愛媛観光案内!松山の歴史探放記

この道20年!松山ボランティア観光ガイドが松山のおすすめスポットと裏話を発信します!

松山観光ガイドその29~四国名城松山城(13)大天守~

松山観光ボランティアガイド江藤です。

前回記事はこちら

 

ehimehistory.hatenablog.com

 

13.大天守

 

それでは大天守に入ります。

この地下蔵の入口から中に入り、ロッカーに靴を入れ、スリッパをはいて階段を上ります。

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木製の階段は傾斜が50度あって登るのが大変です。昔は女性は天守に登らなかったので、男だけの社会ですからこれで良かったのですね。

一段登ったところが一階で下は地下蔵でした。

一階の回廊をまわりますが、松山城の歴史が展示されています。

 

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こちらは城下町の地図です。

よく見ると、住んでいた人の名前が書かれており、住所録のようなものと言えるでしょう。さらに詳しく見ると、名前が書かれている向きがいろいろになっています。

これはその家の玄関の方向を示しているそうです。

 

 

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こちらは加藤嘉正が着用した甲冑です。腕に刀で切られたような跡が残っていますね。

 

 

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こちらは、本壇の設計図です。松山城天守閣は三層(三階建て)になっていますが、その時の設計図です。一層ずつ設計図が重ねられていますね。私はこれを3D設計図と呼んでいるのですが、当時としてはかなり画期的だったのではないかと思われます。

 

チョンミョンソク先生の箴言

 

若者たちが<新しい時代>を探し、新しく行く。

年をとったら、若者たちの手にひかれて行かなければ<新しい時代>に行けない。

 

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松山観光ガイドその28~四国名城松山城(12)本壇~

松山観光ボランティアガイド江藤です。

前回記事はこちら

ehimehistory.hatenablog.com

 

12.本壇

 

いよいよ本壇にはいります。

入場料は大人510円です。

入場口を通ってまず大天守がすぐ近くに見上げられます。ここがビューポイントの4番目です。

 

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本壇の入口には一の門があり、この門を入ると狭い広場になっていますが、枡形といいます。

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甲冑を着た敵の連中が40~50人しか入れないようになっていて、入ってしまったら、前方の窓を開け、右方の窓、後方の窓から一斉射撃で全滅させようというねらいです。

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次の二の門を開けると白塀が続いており、鉄砲隊が多くの鉄砲狭間から外へ向けて狙い撃ちできるようになっています。

そして三の門をはいると大天守の基礎の石垣に到着します。この石垣が全く「面一」に

一直線に実に見事に作られているのが見られます。

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最後の門が筋金門です。柱に筋金が入っており「筋金入り」はここからきていると伝えられています。

この最後の門までたどり着くのも大変ですが、この筋金門を敵が入ってしまうと本壇の広場に出ますが、ここでは全周から一斉射撃をうけることになり、生きて帰ることは出来ないとされています。

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この本壇の広場から見ると連立式天守になっていて、大天守、小天守、南角櫓、北角櫓を四方に配置し回廊でつないだ連立式になっており、連立式平山城と呼ばれています。

この連立式平山城姫路城とこの松山城だけです。

松山城は一番質素な城と言われてきましたが、ほんとに飾りがない質実剛健の城ですね。

 

チョンミョンソク先生の箴言

 

かかとを上げるようにもう少しだけやればいいのに、やらないのか。

<できる能力>は<力>はあなたの中にある。

やってこそ、その力が出てくる。

 

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松山観光ガイドその27~四国名城松山城(11)紫竹門(しちくもん)、乾櫓(いぬいやぐら)、野原櫓(のはらやぐら)~

松山観光ボランティアガイド江藤です。

前回記事はこちら

ehimehistory.hatenablog.com

11.紫竹門(しちくもん)、乾櫓(いぬいやぐら)、野原櫓(のはらやぐら)

 

お客様のほとんどは直行で天守閣に登りますが、こちらにも見るべきものはあります。

紫竹門は門を入ったところに紫の竹の群生があり、この名がついています。ちょっとめずらしい紫の竹です。

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紫竹(しちく)です。

 

 

ここから白塀が続いていますが、穴があいていますね。これは分かりますよね。そうです鉄砲を撃つ穴です。

縦長の穴は矢を打つ穴で、小さな穴が鉄砲を撃つ穴でそれぞれ矢狭間、鉄砲狭間といいます。

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一人づつこの穴を受け持って鉄砲で狙ってみて下さい。

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さらにここには石落としも作りこんであります。敵が大勢この石垣を登り始めたら石落としの板をはいで、水路になっているこの石をはずして落そうという計画です。

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続きまして・・・

こちらの本丸の石垣を見てください。

石垣の造りが大分緻密になっていますね。先程、揚木戸門跡で見た石垣に比べると丈夫にまた登り難くなっています。

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そしてこの角の部分をよく見ると角の稜線が実に緻密に作られていて、石の積み方が下から1段目は右に長い石を、2段目は左に長い石を積み、交互に同じように最上段までこのように積まれていて、角の強度を守っています。

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更によく見ると最下段の石は斜め下向きに積まれ、最上段は水平に積まれていて、下から少しづつ角度を調整して積んであって、これで積まれた石の重力が一か所に集中するのを避け、分散するように造られているのですね。

頭の良い石工さんがいたのですね。

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こちらは乾櫓(いぬいやぐら)と野原櫓(のはらやぐら)ですが、この二つの櫓は400年前からこの場所に建っています。

400年前に正木城というお城から移築したもので、ここに座ってから400年になります。

その正木城にいつ作られたかは記録がないので分かりませんが、400数十年前のことでしょう。

今では2年ごとに内部の開放点検が行われますが、まだ大きないたみは見受けられないので、私はまだ100年は大丈夫かなと思っています。

この櫓はやぐらといいますが、もともと矢の倉だったんですね。

敵が攻めてきたとき味方はこの櫓に駆けつければ、すぐに戦闘態勢につくことが出来るように各所に作られています。

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こちらが乾櫓で、

 

 

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こちらが野原櫓です。

 

チョンミョンソク先生の箴言

 

世の中は「名誉・権勢・財物・外見・学歴」などを見て「価値」を計算する。

しかしこのようなものは永遠ではない。しばしだ。

 

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松山観光ガイドその26~四国名城松山城(10)屏風折れの石垣~

松山観光ボランティアガイド江藤です。

前回の記事はこちらです。

ehimehistory.hatenablog.com

 

10.屏風折れの石垣

 

この桜並木の通路から右手の広場には「よしあきくん」人形があり、

ここから天守を見上げるのがビューポイントの3番目になります。

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↑よしあきくんです。

 

 

この広場の左手には東屋があり、ここから石垣を見下ろすことができます。

この石垣を上から見ていただくと石垣の「そり」がよくわかりますね。

石垣の下部はゆるいそりですが上部はそりかえっていますね。

敵が攻めてきてこの石垣を登ろうとすると下部はなんとか登れそうですが上部にいくと落っこちるように造られていますね。

 

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さらにこのお城の石垣は直角直線の組み合わせではなく「屏風折れ」の造りになっていて、この出っ張ったところから

こちらの引っ込んだところを狙い撃ちできるような構造になっており、これを「屏風折れの石垣」と呼んでいます。

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このお城は全周このような手の込んだ造りになっていますが、一度も使ったことはありません。

 

チョンミョンソク先生の箴言

 

三位一体が行われたら、世の中が止めても、不信しても、患難と迫害があっても、

必ず壮大に成される。

 

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松山観光ガイドその25~四国名城松山城(9)井戸~

松山観光ボランティアガイド江藤です。

前回記事はこちら

ehimehistory.hatenablog.com

 

9.井戸

太鼓門からすぐに本丸広場に出ます。

ここの大きな松の下がった枝の先端に天守閣が見えるこの構図がビューポイントの2番目になります。

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すぐ右手に古い井戸が見えます。

この井戸は直径が2mですが深さが44mあると言われています。

ビルの高さに換算すると11~12階位の高さから水を汲んでいたことになります。

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この広場は海抜132mの高いところにありますが、それにしても400年前よくもまあ44mも掘ったものですよね。

今でも44mも掘る工事は大工事になりますが、400年前そのような技術があったのでしょうか。

そこで私なりに調べてみたんですが、この井戸は掘ったんではないことが解りました。

もともとこの天守を作る前この山は2つの峯があってこの辺は谷だったんです。

天守を作るためにこの2つの山を削ってこの谷を埋め、上を平らにして天守を作ったんです。

その谷を埋めるとき谷の一番底の部分に小さな泉があり、その泉の回りに石垣積んで周りを埋めていくのを繰り返し最上部まで石垣を積んでこの井戸ができました。

底の泉が残ったんですね。今でも水があると言われています。

 

 

チョンミョンソク先生の箴言

 

心臓、腎臓、肝臓、胃腸、脳、目の中、耳の中、口の中、

全て神様は「顔」に劣らないように、美しく神秘的に創造しておかれた。

 

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次回記事

 松山観光ガイドその26~四国名城松山城(10)屏風折れの石垣~

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松山観光ガイドその24~四国名城松山城(8)太鼓門~

松山観光ボランティアガイド江藤です。

前回の記事はこちら

ehimehistory.hatenablog.com

 

8、太鼓門

 

筒井門から一段登ったら太鼓門が待ち構えています。

左右は太鼓櫓、巽櫓が続いており敵の侵入が困難なつくりになっています。

太鼓門も戦災で焼けて戦後に復興したものです。

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太鼓門も他の門と同じく門扉を閉めたとき、かんぬきを通して扉が開かないように大きなカギになっています。

 

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このかんぬきを漢字で書くと門がまえの中に一を書いて「閂」という字になっています。

見たまんまの漢字になっていますね。

 

また、太鼓門は鉋(かんな)で木を削ったのではなく、長い斧(ちょうな)で削ったものです。

表面がでこぼこしているのが分かります。手を加えて加工したものなのです。

こちらもぜひ、直接触ってみてください。

 

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チョンミョンソク先生の箴言

<食べ物>もその時食べられなければ本来の味が変わる。

<仕事>もその時できなければ、仕事の味がなくなって、やらなくなる。

 

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次回記事

 松山観光ガイドその25~四国名城松山城(9)井戸~

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松山観光ガイドその23~四国名城松山城(7)三連門~

松山観光ボランティアガイド江藤です。

 

前回の記事はこちら 

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戸無門(となしもん)、筒井門(つついもん)、隠門(かくれもん)の3つの門が

連なって敵の侵入を防ぐ構造になっており、それぞれの門に役割が有ります。

戸無し門はその名の通り扉のない門で、本来扉があってこそ門なのに、わざわざ扉のない門を作ってあります。

 

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ご覧の通り全く戸がありません。

 

これは敵が攻めてきたときに、敵を呼び込むために扉のない門で誘導している訳です。

敵としてはこれ幸いに攻め込むことが出来るが、すぐ隣にこの松山城で一番大きな筒井門があり、常時門が閉められていて敵は行き止まりの袋小路にはいってしまいます。

 

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これが筒井門です。現在は観光客の皆さまが通れるように常時開いていますが、

当時この門は常時閉められていました。

 

このとき進入路からは見えないように作られている隠れ門から中の守備隊が扉を開けて出てきて袋小路の敵を全滅しようという作戦で三連門が作られている訳です。

 

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こちらが隠門です。ちょっと奥まったところにあるので、確かに敵にも見つかりにくいですね。

ところで、この門の両側の柱をよくご覧ください。片方は400年前のまま、片方は4年前に修復されたものです(^^;;

見た目そっくりにしてありますが・・・触ってみると一発で分かります。

是非、実際に触って確認してみてください。

 

こちらは、筒井門の扉です。

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大きく立派な扉ですが、一枚板で作られています。

戦後、不審火で焼けてしまった為に復元されたものですが、その当時皇居建て替えの

為に育てられていた木が使われたといいます。

皇居の建て替えが必要になった時にどうするのか・・・私はちょっと心配しています。

 

チョンミョンソク先生の箴言

 

お金よりももっと貴重なものは「時間」だ。

<時間>があってこそ、「お金」も稼ぎ、「成功」もする。

<時間>があってこそ、「稼いだお金」も使い、「名誉」も享受する。

 

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次回記事

松山観光ガイドその24~四国名城松山城(8)太鼓門~

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